『君に読む物語』

08:55;図書館からモーニングコール『ビデオを返却してください。』「はぁ?・・・しまった!巻き戻してる最中にそのまま帰ってもた!」すぐさま現場に急行。『オリエント急行殺人事件』のテープだけに。09:27;確保。取調べを受け釈放。本庁に帰ろっ・・・などと犯人と捜査官を同時に演じ、やっぱり娑婆の空気はうめぇ、としつこく書き連ねようとこの時思いながら、すぐさま、久しぶりに朝日を浴びることができた悦びを感動の涙に還元しようと決意。そこで三宮で映画を観ることにした。最近ホントろくな事ないんだよな。パソコンが壊れプリンタが壊れ、自転車が撤去され、・・・。腰が砕けた友人のイモムシのやうな蛇行運動をみて胃がねじれるほど笑ったときに流した涙しかまともに泣いてない。それは決して人間的な生活ではない。でももう一度見たい。そて、さてそろそろ本題に移ろう。(フランス語では「さてわれわれの羊に戻ろう。」何故かは知らない。)われわれが今回取り上げる作品は今話題の『君に読む物語』である。これをまず198のレクシに分節化してみよう、と観る前からバルトの妙技は真似できなかった。
嗚呼・・・!ひたすら涙、涙、涙。滝のように流れ出る涙と鼻水で眼の前がかすみ正面を直視することができない。時折、堪えきれず、悲鳴に似た嗚咽がほとばしる・・・これが観賞後立ち寄った「ココ壱番カレーハウス」の3辛に挑戦した私の率直な感想である。確かに評判以上の出来栄えだった。
まだ観ていない方々のためにあえて全部この作品の<見所>を教えてやるよ。・・・おいおいこれから書こうってときに邪魔すんなよT子ちゃん、えっ・・ヤバイってそれはBにばれるよ、お、おいって・・・ぁ・・。ふっー。
物語はあきれるほど美しい夕暮れの湖畔の風景から始まる。それを眺める老婆登場。ついで老人も。「私はどこにでもいる平凡な年寄りだ。」の台詞の直後、彼の若き日の非凡な才能が明らかとなる。生涯をかけて愛し続けることとなる女を獲得するときの彼はあまりにハリウッド的としか言いようがなく、全米が「そう、女にアタックするときはそのぐらいフロンティア精神を発揮しなくては」と再認するほど獰猛という点で模範的なオスなのだ。それが観覧車によじ登ってまでデートに誘う果敢な行為によって示されたのだった。素朴に、危ないよ、下で待てよ。と感じるのは生まれも育ちも開国させられて久しい島国の民の合理的な思考なのか。(映画ですから、残念っ、斬る〜。)青年は貧しいきこり(材木業)、でも恋する女は裕福で知的というロマンチック(フランス文学史的な意味のそれ)なというのもはばかれるほど典型的、いや理想的な構図。やがて、両親の反対、恋敵の登場、という障害が設けられ、そして乗り越え、このひと夏の恋物語を鮮やかに彩ることになるのではないか・・・という安易な予想が的中したとき、少なからず、これまでの読書経験等が生かされたことを知り、軽い悦びと落胆を得ることになるのだった、と書くことさえむなしい。廃墟が登場した瞬間、ああここで二人はヤッちゃう、いや結ばれるのか、でもこれは美しい恋物語なのだから寸でのところで妨害がはいるわけで、裸で抱き合うだけで別れる展開に、『潮騒』(三島由紀夫)の米国における受容を垣間見たとき、その感動は廃墟と呼応し執拗に胸にこみ上げてくるのだった。回想-現在-回想-現在・・・という不測のテンポで物語は進み、最初に登場した老女がなんと、痴呆という名の記憶喪失、あるいは不治の病ということが分かり、この作品の価値を決定的なものにしてしまった。そして衝撃のラスト!ここまで読み進めてきてくれたひとはすぐさま劇場へ。過去に似た経験をしたのか、あるいはしたかったのか、あるいはこれからするのか、と問いかけてみたくなる老若男女が少々、私のように切実に泣くために来た人らが少々、何事もなかったかのように観客を案内するスタッフを多数目撃することは絶対にできる。
「あの時代は美しかった」と過去を振り返る行為それ自体が美しい、哀愁に満ちたものであって「過去」のある時点が現在、ましてや未来に対して美しいなどということが果たしてありえるのだろうか?それは、かつては「美しかったと信じたい」という単なる遡行的な願望でしかないのではないかと、まだ若いと信じたい私は思うが、確かに、間違いなく幼く、若かりし頃、時間は今よりもゆっくり流れていて、24時間で切り替わる一日と季節の移り変わりはまさしく「待つ」と呼ぶにふさわしかった。ああやだやだ辛気臭い・・・ここに、そう、女子高生の衣替えを待ちわびるって書いたら、台無しじゃないか。ん〜プルースト的に花咲娘たちのかげに・・・むかしおとこありけり、風の悪戯、衣まくれるを待ちわび・・・となるともう詩的でも知的とも言えない。ん〜・・・おいおいこれから書こうってときに邪魔すんなよT子ちゃん、えっ・・ヤバイってそれはBにばれるよ、お、おいって・・・ぁ・・。ふっー。
「人は未来に向かって後ろ向きに入っていく」と言ったのは60歳をゆうに越えたヴァレリー先生だったが、この文章で使っていいすっか?
当分おやすみ。おかげさまで、しっかり『君に読む物語』を書いてしまったじゃないか。